犯罪から思う

新幹線で殺人事件が起きました。殺された人は女性を守るために犠牲になったようです。残念です。皆さんは加害者をどう思いますか。こう言うことが起きないようどうしたらよいでしょう。私は弁護士ではありませんので加害者をどう弁護して良いかわかりません。被害者をどう救済して良いか分かりません。日本は安全で住みよい国のはずです。しかし犯罪が無い国ではありません。他の国と比べて少ない国に過ぎません。加害者を厳罰にすれば良いでしょうか。考えさせられます。戦国時代、武士のみならず農民も刀を持っていました。殺伐とした世の中で、人は生きるか死ぬかの生活をしていたと思います。自分の命は自分で守るという考えが有ったものと思います。どこかアメリカの銃所持に似ているように思います。豊臣秀吉が刀狩りと称して農民から刀を取り上げました。それから武士と農民の区別がはっきりと生まれたものと思います。しかし世の中はまだ平穏では無く徳川家康を待って落ち着き始めました。徳川時代は厳罰をもって犯罪に対処したものと思います。武士階級の存在、規範もあったと思いますが、犯罪者の究明厳罰が徹底していたと思います。今は世界的には死刑制度の廃止が叫ばれています。日本には死刑制度があります。無くしたら良いでしょうか。それとも厳罰をもって犯罪を抑止する方向に持って行くべきでしょうか。加害者は内向的なようです。自分をうまく社会に適用できないようです。その事をもって犯罪が許されるものではありませんが、厳罰を適用するべきでしょうか。加害者は死にたいと言っていたそうですが、それならば自分1人で死ねば良いのに、などとすぐ反応してしまいがちです。加害者は世間になじめないのは自分のせいと思いつつ、こうなったのは世間のせいでもあるとどこか思い詰める部分もあったのでは無いのか、と思いを巡らします。最近は犯罪者の欲望のまま起こす事件と社会との確執が原因の犯罪が多いと思います。社会と自分との隔絶が問題を起こしているように思います。犯罪被害を防ぐためにすぐ言われるのは、警備の強化、監視、検知機、など防御策を第一に考えます。果たして日本においてそれを一番目に持ってきて良いのだろうか。米国、紛争国並みに防御策を最初に考えるべきだろうか。持っているものと持たないものの格差を助長しないだろうか。それよりも内向的な人でも気軽に生活できる環境整備に重点を置いた方策が無いだろうか。日本人は障子一枚でしきり、プライバシーが無いと思われがちですが、だからこそ思いやり、個人の尊重が生まれたと私は思います。今は他人のプライバシーも尊厳もお構いなしに自分は隠れたまま非難することが臆面も無くまかり通っています。犯罪者を擁護するつもりはありませんが、犯罪が起こらないようにするには、犯罪者が出ないようにするにはと考えるべきだと思います。犯罪が起こったあとの対策ばかりに注目するのは厳罰化を再現しないだろうか。法律はこうしなさい、こうしたらダメですよとはなって居らず、そうしたらこの法律を適用します、となっており、法律をもって社会を規範しようとするのは限界があると思います。安定したよき時代が終わりつつあるのでは無いのかと危惧します。犯罪が何故起こったのかの教訓が行政に反映されていないように思います。取り締まりを強化することも大事ですが、未然に防ぐ予防策も大事だと思います。災害などには予防があるのに犯罪には何も無い。弱者には優しい環境作りが必要です。思うのは途中の弱者に優しい環境作りが必要です。完全な弱者は保護の対象者になりますが、中途半端な弱者はどっちつかずで置いてけぼりを食うことが有ります。老人介護の問題でも支援介護の等級で子供達に負担をかけています。どこか個人の問題と突き放します。都合の良いときは個人主義を縦に、グローバリズムを横にしているように思います。願わくば負の連鎖が起きないようになれば、と思います。