豊かさに思う

豊かさとは何だろうか。コロナ対策としてリモートワークが行われていますが、それを利用して、地方に居を変えている家族がいます。働き方改革にはよくても誰もができることではありません。それでも地方に住みたいという欲求は、精神的豊かさを求めたものだろうと思います。子供が自動車内で死亡しました。母親だけの家族のように思われます。母親の行動は非難されるものですが、この若い母親は何を求めていたのだろうか。自分と同世代の者が飲み食いにいそしんでいる事をしたかっただけのことかもしれません。子供が苦しんでいる事を忘れるほど、現状がままならなかったのかもしれません。親としての責任を追及される事は当たり前ですが、人としての見栄におぼれたように思われます。外車に乗り、夜中まで飲み歩く。どういう生活を送っていたのだろう。子供たちは学校保育園に通っていたのだろうかと思いを馳せます。ひとり親に対する補助もあろうかと思いますが、それを十分に利用できていなかったのではないのかなどと思います。子供を放棄したいときもあったと思います。その時は勇気をもって保護施設に預けてもらいたいと思います。子供が死ぬよりましです。米国で黒人が警官に撃たれて問題になっています。人種問題と言われています。私は人種問題というより、白人特有の、あるいは白人というより人としてのとらえ方の問題と思います。経済的豊かさを以前ほど実感できなくなりつつある状況が生み出した被害妄想的な認識にあると思います。アメリカの歴史において、アメリカ大陸に進出して来た白人は土着の住民を迫害しだします。自分達の利益を確保するために自分たちのルールを作り、それを他の人たちにも適用します。そのルールに従う限りは公平ですが、従わない場合殺しも正当化されます。自分達がプレイヤーであると同時に審判員でもあろうとします。インデアン、戦争時の日本人、中南米諸国からの移民、そして黒人。白人のどこかに自分たちを虐めるという被害妄想的な感情があるように思えます。今は米国内では黒人だけの問題のように扱われていますが、トランプ氏を代表するのように、イラン、中国、メキシコ、国だけではなくそこに住む人達に被害が及ぶものと想像します。この被害妄想はどこから来るものなのだろうか。自分優先、自己利益追求が浮かびます。同時に歴史の浅薄が思われます。自己アイデンティティが確立していないように思います。ヨーロッパ諸国にも黒人問題、移民問題がありますが、根本問題ではないように思います。アメリカでは内政問題にもかかわらず、根本問題のようです。新しい国ゆえの歴史に裏打ちされた考えが確立されておらず、揺れ動いているように感じられます。まだ実験国家なのかも知れません。日本の家族構成にしても、核家族化は因習という悪癖を取り除くには一役買っていますが、家族の助け合いというものも取り除いてしまい、自己追及という点ではよいとしても、互助という点では希薄になっているように思います。歴史的に続いてきたものを変え、新しいものを取り入れるには、それなりの覚悟がいると思います。旧約聖書が法律,刑法であった頃、その法律に物申したキリストはある意味民法ではなかったのかと思います。アメリカは経済優先、民法優先ではないだろうか。今一度法律をアメリカのアイデンティティーのもとに自由平等平和を追求するべきだと思います。