街から音楽が消える日

街の店屋さんから音楽が消えているそうです。コロナのせいで繁華街に行かなくなって久しいのでよくわかりませんが、BGMなど音楽を止めているそうです。何故か。音楽協会が著作権と称して集金に来るそうです。その著作権料を払いたくないためか、音楽を鳴らさないようにしていると思われます。バカな裁判官の判断のため街中から音が消えています。その店独自で作った曲だけが店中に鳴っています。作詞家作曲家に著作権料が果たして行っているのだろうか。音楽協会のもうけにしかなっていないだろうか。新曲が出ても、もう街中では聞くことはできないものと思います。音楽協会は自分で自分の首を絞めているように思います。NHKの集金に似た感じがします。公務員より高い給料をもらい、その維持管理のため集金に血まなこになっている感じがします。果たしてこれで良いのだろうか。音楽教室、発表会など集金人が玄関で待っている事でしょう。音と言えば、お寺の鐘、神社の太鼓の音にもクレームがつくそうです。お寺に文句を言ったら、お寺は鐘を鳴らすのを止めたそうです。果たしてこれで良いのだろうか。トラブルを避けるためそうしたものと思いますが、これが個人主義のなれの果てのように思います。何かおかしい。騒音とはいいがたいものにもクレームを平気で付け、自己満足を満たす為に周りを巻き込んでやめさせる。日本人はだんだん我儘になってきているように思います。語弊があるかも知れませんが、飛行場の騒音問題も、先に飛行場があってその周りに住宅地ができ、騒音被害だと言い立てるのは少し勘違いのようにさえ感じます。確かに一等地に飛行場が在り、住宅地が広がるのは仕方がないにしても、飛行場が悪のように言うのはどうでしょうか。代替地を考えてともに解決するのが筋のように思います。昔は騒音と言えば暴走族の音でしたが、今では滅多に聞きません。若者が大人しくなったように思います。その代わりに大人の方が自分の気に食わないことに文句を言う場面が増えているように思います。声を大きくして、言い放つモノが優勢のようです。日本人の働き方、生活様式が変わり、お金の余裕が在るようで無い。ローンに付きまとわれ仕事にへばりつくようになってきてるようです。正社員になる事だけを夢みてそこで何をするのか、出来るのかは二の次になってきているようです。生きるために仕事をする。大事な事です。しかし、その中でも自分にとっての仕事の価値観をしっかり持っているだろうか。お金のために仕事をする。不満があってもお金のため。何時しか本末転倒になってきているように思います。どうしようもない不満を何も反論しない者に向けているようでならない。それは自分で自分の首を、自分で自分の子供の夢を壊しているように思えてならない。音楽著作権協会は置いといて、作詞作曲家たちはどう思っているのだろうか。関係無いと思っているのであれば、本当の個人主義自由主義に反するように思います。