親ガチャに思う

親ガチャと言う言葉を初めて知りました。親の収入など家庭環境によって、その後の子供の進学就職生活様式がある程度決まって来る、と言うものらしい。一般的に親の負の部分を他者との比較において劣っている所を批判的に悲観している場合が多いように見受けられます。勿論優れている所を享受していて良かったと思っているのもあります。私はこの事は子供だけではなく、その親も同様な事を思っているように感じます。人の親となって独身時代とは違い、いろいろな制約が次第に加えられるようになっていく生活に戸惑い、嫌気がさしてきているように思います。そこに親の身勝手かもしれませんが、子ガチャが加わり、放任、過保護の傾向さえ生まれてきているように思います。社会が高収入の人達を優遇しているように感じ、低収入の人達は不公平を感じる機会が少なくないと思うようになってきているように思います。人生の充実を幸せという秤で測定すると高収入低収入は本来関係ないものでありますが、やはり自己実現を目指すものにとっては影響があると思います。日本において社会経済は比較的安定していると思います。その中で限られた高収入の地位を獲得しようとすると、学歴、財産、地位、身体能力を始めから持っているものはスタート位置が違い、不公平感を醸し出しているようです。そのことに敏感に反応しているのかも知れません。子供が大人になる時点で全ての責任は本人の問題と言うものが自覚できていない、本人の自覚しだいと切り離してしまえば大人の対応になるのかもしれません。今は悲観しているだけですが、これが社会的なうねりになり、ブルジョア階級弾圧などと言った革命にさえ発展しだすと革命戦争が起こり、社会主義国にさえなりかねないように杞憂します。自由民主主義とは各人が平等な権利を持ち、法の下に自由な意思活動を行えるものと思います。日本は法の下に権利、自由意志活動があります。では何故ガチャなのでしょうか。自分では解決が難しい社会適応感情の齟齬ではないのかと思います。高収入ではなくとも幸せになれる。自分がしっかりしていれば社会の目を気にしなくともよい。見てくれが悪くても生活できる。本人の考え次第、と割り切ってしまえば済む話ではある。不公平感は法律を作ってある程度は解消出来るところもあります。しかし結果的には本人次第ということになります。禅宗に足元を見なさい、というものが在ります。自分の立ち位置を自覚しなさいという事であろうか。親ガチャは自覚はできているものの、そこからもう一歩踏み出していないようです。何事に変えても、という一歩が足りないのかも知れません。私は違った観点から、因縁は七代たたると言いますが、良き因縁も育てなければ七代で終わります。悪い因縁も清めれば七代で終わります。どう生きるかどう生きていくかが七代で変わります。そして、その子孫に影響すると思います。今の人達は個人で生きていると思います。一代の世界です。七代の世界戦略を持ってみてはどうでしょう。自分から創める家系図を作ってみてはどうでしょうか。