大統領選挙中絶に思う

アメリカ大統領選挙の話題の一つに中絶の問題が在りました。中絶を容認するものと、容認しないものとの対立です。私は宗教的な立場から言えば、生命は貴いものである、尊重しなければならない、と思っています。これは他人を殺す事、自分を殺すことも含まれます。では赤ん坊にもなっていないものはどうでしょうか。難しい問題です。母親から出た時点を生命とするのか、人間生命として機能し始めた時とするのか、どの時点が良いのか、また難しい議論だと思います。中絶が容認されるべきかどうかだけを考えてみますと、これは一つの生命だけではなく、二つの生命を慮る必要があると思います。子供と母親両方の生命を慮る事が大事だと思います。子供が生まれるという事は良いことだと思います。しかし、無垢な子供が大きくなると色々なしがらみに惑わされる事が予想されます。望まれない子供というレッテルが何処かについてしまうように思います。こういうレッテルは親を亡くした子供、離婚した親の子供、犯罪を犯した親の子供、など子供自身とは関係ない所での原因がわざわいしているにもかかわらず、少し冷めた目で世間からは見られることもあります。最近は離婚した親の子供が増えているためか、母親家庭の子供はそうでもないかも知れません。子供には罪はない、などとよく聞く言葉ですが、子供自身はそれ以上によく聞いているようです。女性が望まない妊娠をした、ということも見聞きします。TVでも強制わいせつ事件が報道されています。こういう性犯罪の被害者女性の事も中絶の対象者と見るのは、日本では納得のいくものではないと思いますが、一般論では対象者になるのかも知れません。女性がいろいろな事情で妊娠し、それが受け入れられない状態にある時、女性にどういう感情が起こるのか考える必要があると思います。何かトラウマになるとか、社会的な制裁を受けるとか、何に対しても被害者意識が起こるとか、男性の私にはわからない精神的不安定性をもたらす事が予想されます。妊娠している女性が赤ん坊を生み、殺す、と言う事件はこれまでも在りました。自己判断での社会的な体裁を考えすぎた結果だろうと思いますが、それほどのプレッシャーを感じていたと思います。望まない妊娠をしてしまったという一方、子供が欲しいという欲求があります。人工授精、代理出産、など科学が発展し、さらに生命に色々な条件付けさえできるようになりました。国会でも親子関係、財産関係が法律としてどういうものになるのか議論されるものと思います。中絶手術を見ると、日本では未だ昔の方法が行われているようです。そのため子宮を時に傷つけることもあろうかとも思います。欧米では子宮に、より安全な吸引方法が行われているようです。日本も生命を大事に思うなら、より安全な方法があるならそれに変えていくべきです。中絶という事がタブー視されているためか、そういう事を声高に言う世間も、医者も少ないようです。もしも中絶が容認されないのなら、社会は子供、親に対して偏見をなくしていく努力をしなければならないと思います。社会福祉の充実をしなければならないと思います。中絶が容認されるのなら、犯罪被害者支援、中絶した女性支援、より安全な医療体制を整える事が望まれます。中絶自体が良い悪いという議論よりも、中絶前、中絶後の事を考えるべきだと思います。世間の風は冷たいものです。二人の生命をどうやって見守るかが大切だと思います。コウノトリ、という病院関係所があります。熊本の病院医院長の方が始められたと思います。生まれた子供が可愛いと思ったら、自分ではどうしようも出来ないと思ったら、授けてほしいと思います。二人の生命を大切に思うなら、社会支援をまず考えるべきだと思います。救った命の先に大統領になった、ブラックジャックの本を思い出しました。