我が家の家庭料理人

私はほぼ料理ができません。私は自分ができないことに関しては、文句を言わないようにと心がけているつもりです。しかしながら多少は言ってしまいます。幸か不幸か料理の味が何となく分かるつもりでいます。料理を作る場合、多くの人が料理レシピ通りに作ることを優先していると思います。塩砂糖醬油など調味料の分量をレシピ通りに加えると思います。プロの料理人たちはそこに多少の工夫を凝らして独自の味を調えているのかもしれません。それはそれとして素晴らしいことと思いますが、私の娘は独特です。実は味見をしません。私は味見をします。味が薄い濃ゆい何か足りない、など味見をして決めます。しかし娘はしません。同じく母もしません。初めての料理などの時は、母は私に味見をさせることがありました。そこでどんな味か言っていました。調味料の分量に関しては、その家庭の味を決めるものと思います。多少の幅があって当たり前だと思うのですが、その目安を味見をせず決めていることに私は不思議な感覚を持っていました。母だけが変わっていると思っていたのですが、娘までもが同じく味見をしません。ですから初めて作る料理は味がバラバラになり、具材と合わない場合が出てきます。しかしながら味の具合を言うたびに、回を重ねるごとにマッチしてきます。結果として総菜屋さんに負けないくらいになります。そしてその手の料理に応用していくようです。調味料の分量を足したり引いたりして工夫を凝らすのは当たり前と思いますが、その目安を味見をしなくてどうやって決めているのでしょう。私には全く理解できません。たまに塩、砂糖、カレーの塊、玉がある点も母親と同じです。味見をしない料理人がいるのでしょうか。料理は味が決めてだと思うのです。味が全く分からないわけではありません。強いて言えば、どの味が良いのか判断がつかない、という事だろうと思います。ではどうやって料理の良しあしを決めているのだろうか。私の小言にあるのでしょうが、自分独自の判断基準があるように思います。味の尺度には自信がなくても、目による判断を重要視している節があります。母は耳に頼っていた節があります。どちらもその点は人より優れているように感じます。私などには有り得ない事のように思いますが、その人独自の判断基準があってもおかしくないように思います。料理を作る女性に、どうやって料理を作っているのか聞いてみたく思います。料理レシピ通りに作っても上手くいかない家庭料理人は、自分独自の判定基準を持った方が良いのかもしれません。考えてみれば、私は味だけを見ているように思います。やり方は同じくしますが、米を炊く場合、米何合に対して水カップ幾らと入れるようですが、私は手で図ります。新米古米など季節によってわざと変えます。微妙なものです。さじ加減程度です。レシピ通りの味は面白くありません。失敗を繰り返せばその内うまくなるものです。社会生活において失敗を恐れるあまり、レシピ通りに行動する若者が増えたことに危惧を覚える今日この頃です。