私のコンピューター操作

私はどうもコンピューターが嫌いだ。うまくページが開けない。スマホで簡単に調べ物をする人を見るとうらやましくもある。要するにコンピューターの仕組みが判っていないのだろう。コンピューターの仕組みという法律に似たものに則って作動させれば上手くいくと思われますが、どうも出来ることと出来ないこととの境目が分からない。日常商品は通常の使い方以外でも安全性が保てるように作ってあり、また危険な使い方は注意書きで知らせてあります。しかしコンピューターは使い手が勉強するしか無いようだ。言語は0と1らしい。人間は4つの塩基で出来ているらしいから、究極にはコンピューターも進化して4つになり使い勝手が良くなって欲しいと思います。さてこのコンピューターの言語を4つにしようと馬鹿みたいな考えを持っている人がいるだろうか。日本では今安全志向が進み上のいうことに何の疑いも持たない人が増えてはいないだろうか。会社の言うとおり、親の言うとおり、政治、マスコミの言うとおりなど権威のあるものの言うとおり、と素直すぎてはいないだろうか。法律、社内規定、道徳と声高に叫びつつ上にいる人達がそれをむしろ悪用しているふしさえ見受けられます。日本は物作りでは世界トップでも新規のものを開発するのは苦手なようだ。突拍子のないものは当然と言って良いほどマッタがかかります。これに対抗するには大変な決断と努力が要ります。こういうことをあえてする若者が今はいるだろうか。私は少し疑問に思います。会社勤めをすると、この人はこの仕事に向いていないなぁ、と思うひとがいます。別に仕事ぶりが悪いというわけではないのですが、どこか勘が悪いと思わざるを得ないところがあります。自分の好きなことをやってお金を稼げるのが一番の喜びですが、やはり生活のために向いていないと判っていてもやらざるを得ない事もあります。個人的には若者には好きな仕事を選んでもらいたいと思います。男女間の好き嫌いのように。今考えられないような若者の犯罪が最近増えているように感じます。やりがいとは何だろう、他の人がうらやましい、どうして良いのか判らない、という感情に支配されてはいないだろうか。自分を律するにも根本が判らなくなってはいないだろうか。私のコンピューター操作のごとく、どこをどういじれば良いのだ、と苛立ちばかりなのではないかと思ってしまいます。企業では社内改善として5s、カイゼン、リーンとか色々なものを部下に押しつけますが、上の改善策がないのは事実です。うがった見方をすれば下には押しつけるが、上のものは例外です、管理されませんと抜け道を作っています。あるとき私は講師に上のものをカイゼンするものがあるのかどうか聞いたことがありました。講師は黙ってしまいました。上のものをカイゼンする講習を私は知りません。今あるカイゼン講習にこの事が載っているものが果たしてあるのだろうか。管理職に都合の良い改善策ばかりが並んではいないだろうか。0と1はコンピューターを作ったものには犯すことの出来ない神聖なものかも知れませんが、それは絶対ではありません。この事にチャレンジするものを期待します。私は子供の頃ゴジラを見ていました。いまのとは違います。アメリカ人はゴジラが好きだそうですが、私が思うにゴジラはチャレンジャーだと思います。自分より強い相手であっても、一度は負けてもそれでも向かって行く姿が好感を得ているものと思います。年寄りの言うことは大事ですが、チャレンジ精神を失わない若者であって欲しいと思います。何かもやもやしたものが自分の中に湧き上がったら、今すぐ解決したいのは判りますが、残念ながら時を待つしかありません。むしろその待っている時をどう過ごすかに、今後の人生観が培われると思います。晴れの日があれば雨の日もあるさ、なんくるないさぁ。しかし私のコンピューター操作はどうにかならないものか。