はれのひに思う

商売についてやってはいけないことは、信用をなくすような行為です。特にお客に対しての信用を無くしたらその場所ではやってはいけないでしょう。その点で、はれのひがやってしまった行為は致命的なものと思います。むかし私が勤めていた会社に白紙小切手を持ち込んだ社長がいました。1度目の不渡りを出し2度目も避けられない状態での訪問でした。小切手の金額はいくら書いてもらっても構わないから、お金を貸して欲しいと言うものでした。皆さんはどう思われますか。その会社が倒産すると誰もが想うことでしょう。それだけならまだ良かったのですが、その社長は亡くなりました。人は失敗をします。失敗を繰り返しながら成長をするものだと思います。しかし失敗の途中であきらめるかの行為は絶対にいけません、と私は思います。日本人は会社に対して、会社は永久に存続するものだとどこかで想っていると思います。会社が波に乗っているときは当然のごとくどこかで思っています。しかし、欧米では始まりが有るなら終わりがあるという考えがあります。宗教観の違いと思います。日本人は一般的に、輪廻を思い現世と来世を、そして再び生まれ変わることをどこかで思っているように感じられます。これは仏教の教えでは有りません。むしろこの様なことを避けるために、因と縁を断ち切るためにあると部分的には思います。キリスト教も現世が大事であると説いているように思います。天国と地獄を想いますが、基本は日本人のように輪廻転生を考えてはいないようです。最近の米国のDVDでは前世現世来世を題材にしたものが多く見られます。知らず知らず宗教観とは違う何かが、人々に影響を与えているのかも知れません。話がずれましたが、会社は辞めるときがあるということを言いたいのです。自発的にせよ、やむを得ない事情にせよ。その時に迷惑を掛けるのなら、掛ける相手は会社にしなさい、ということです。それも迷惑を掛けても大丈夫な会社にしなさい、ということです。迷惑を掛けて潰れる会社はダメです。今度のことで恐らく銀行は大丈夫でしょう。仕入れ先も苦しくなりはするでしょうが、持ちこたえられるものと期待します。どうにも出来ないのは一般のお客さんです。お金は諦められても、その時間はどうしようも有りません。償いが出来ない状態です。どうしょうもないものを相手に与えてはいけないと思います。この社長はお金以上のものを返す義務を負ってしまったと思います。昔から3代目が危ない、と言います。会社にしろ家系にしろ。それを存続させるためには先代を越える何かをしなければならないと思います。弟子が師匠を越える何かを手に入れるかのように、新しい技や考えを取り入れることが大事だと思います。今までやってきたからこれからも同じようにやろう、では立ちゆかなくなると思います。はれのひは放漫経営だと思います。しかしその経営指針に賛同した従業員がいたのを見ますと考え自体は悪くなかったものと思います。ただ優秀な事務人がおらず、苦言を呈するものがいなかったのが倒産の原因ではないかと思います。YES MANばかりを回りに侍らしていたのではないかと勘ぐってしまいます。昨今の大企業の不祥事もそうではないのかと思ってしまいます。不利益は一番弱いものにしわ寄せが来るようになっているのかも知れませんが、最期に社長が取るべき態度は、真摯に相手に向き合うことだと思います。それから、生きて色々な思いを背負うことだと思います。大会社の社長さんは不祥事は私のせいではない、背負うべきものでもないとどこかで思っていないかと思います。理不尽な理由、不運な巡り合わせも有ろうかと思いますが、それらも含めて運命だと思います。嫌なら社長になるべきでは有りません。