労働裁量制に思う

裁量労働制で得する人は当の本人ではなく、雇っているほうであるように思われます。これが個人事業主なら自己判断で労働時間を判断できると思うのですが。例えば農家の場合、春に稲の作付けの準備など3月から6月ぐらいまでは忙しく、恐らく8時間労働プラス5時間程度の残業、夏は水管理除草など加えても8時間労働以内、秋は収穫に向けて8時間労働プラス3時間程度、冬は8時間労働以内ではないかと想像します。稲作だけを考えると年間の平均労働時間は8時間労働程度になるものと思いますが、その外野菜を作るとなると春夏秋冬と労働時間が長くなると思います。野菜を作ることがアルバイト的な副収入と考えれば平均労働時間は8時間以上になると思います。8時間労働をとって時間に余裕を持たせれば収入は少なく、労働時間を長くすれば金銭に余裕が出ると思います。時間を多く持とうとすれば収入は多く望めず、収入を多く持とうとすれば余裕の時間は多く望めません。ただ個人事業の場合、その期間のなかで時間を調整することが出来る部分があると思います。私にはこの個人事業主の労働体制をサラリーマンの労働体制にも適用させようとしているように思います。成果主義というお題目が達成されれば労働時間は問題としないと言うものではないかと思います。稲作を考えますと成果が出るのに少なくとも1年以上かかります。プロ野球の選手でも1年目から活躍できる選手は希です。もし労働裁量制を考えるなら労働者は一人親方的な立場を保ち、月々ではなく1年単位の年俸制にするべきでしょう。プロ野球の選手よろしく年俸改正によって賃金成果を判断され、評価をされるようにしないと、毎月が不安になります。コーチのような上司に特訓をやらされるように、残業をやらざるを得ない状況が続くと嫌になります。コーチは必要だと思いますが、一人親方であることは、監督は必要では有りません。自らが監督であるべきで、監督が必要ならば一人親方になるべきではないと思います。裁量労働制は働く方に問題があるとゆうよりも働かせる方に課題があるように思います。仕事である以上一定の量質を担保でき、期間厳守、突発的なことにも柔軟に対処できる人などを思いえがきます。思いますに邪推すると、ふだんはたいした仕事もせず8時間労働で給料をもらっている、残業と称して昼間するべき仕事をしている、対して8時間労働では終わらないと思われる仕事を平気で言ってくる、押しつけるだけでなんのコーチもしない、などが想像されます。裁量労働制にするなら本人、上司が自己判断、自己責任を認める環境を整えるのが先決だと思います。ただ単に賃金を抑えられるとか、自由な時間が出来るなどと思っていたら大間違いと思います。労働裁量制自体が悪いとは思いませんが、何に価値を置くかが個人の問題で有る限り、一人親方的な個々人との契約が必要ではないかと思います。常時残業が要求される仕事場は残業してもしなくても一定の残業代を上乗せして賃金を支払うところも有ります。またタクシー運転手などは基本給プラス歩合制です。残業があってもなくても付く残業が良いか、勿論平均的にはそれぐらいの残業はするものとなりますが、働いて稼げば稼ぐほど残業代が増える方が良いのかは、会社の方針、個人の働き方の問題と思います。8時間労働制ばかりが本道ではなく、選択肢として労働裁量制があっても良いと思います。しかし強制力をもって導入するのは止めてもらいたいと思います。サラリーマンの労働体制には、まだ会社も従業員もそして社会もなじんでいないように思われます。