アマチュアボクシング協会に思う

マチュアボクシングが揺れています。山根会長の問題は今までの不祥事に似ています。レスリング、アメフトなど。皆さんは山根会長の態度を許せないと思っていることでしょう。私は山根会長の思いが何となく分かるような気がします。何も無かった所から私を忘れて取り組み、時には私財を使い、育て上げたという自負があると思います。その恩義に他の人は少しぐらい報いても良いのでは無いか、という思いがあると思います。これは何も山根会長だけでは無く全ての人に当てはまると思います。スポーツ界ばかりでは有りません。起業者が有名人になればなるほどカリスマ性が生まれます。それが反作用を生む場合が有ります。周りの忖度が生まれます。当の本人に相談無くあれこれ思いやりの心で過剰な接待をします。山根会長の接待など東京での接待金額にすれば10分の1位でしょうけれど。この様な態度はご存じの通り、政治家に対する公務員の暴走にも当てはまります。今明らかに小さな組織から大きな組織に変遷してきた協会、会社、政治活動に改革が望まれていると思います。嫁姑問題も少し似ているなあ、と私などは思ったりもします。若い嫁が権力を持つ姑に対してリスペクト無しに物事を決めだすと姑は古い価値観を押しつける、あるいは表向き忖度するが陰で悪口を言うなど。ところで山根会長のどこがいけないのでしょう。取り巻き、審判員の忖度でしょうか。息子の態度でしょうか。試合と関係ないところでの力のバランス感覚でしょうか。こういう人はあらゆる所に居ます。私は思うのですが、一番の失敗は確かな後釜を作らなかったこと、そして引き際を知らないこと、です。昔の名前で出ています、という歌がありますが、昔の名前をずっと引きずって今も威張っていますのように思われます。これは古株、古参と呼ばれるようになったら若手からそう思われていると感じるべきです。私もきっとうるさいやつだ位に思われていると思います。しかし一つだけ言わせてもらえば、若手のリスペクト無しの批判は古株を否応なく怒らせるものです。例え的を得た批判でも古株の存在感を否定するかのような言動は対立を生みます。若者はどこか教育を受けるのは当然の権利だ、と思っていないだろうか。知らないことを教えるのは先輩の義務だ、知らないことをさせて失敗したら私では無くさせた方が悪い、と思っていないだろうか。古株は若者にいろんな事を教え育ててきた、という自負があると思います。若者がそれは私に与えられた当然の権利だ、と思い間違いをしていないだろうか。日本の徒弟制度が、賃金制度が問題に挙げられる事がありますが、お金を払っているから、お金を払ってでも、どちらの態度が良いのでしょう。山根会長の現状が良いとは思いません。周りの忖度が良いとは思いません。周りに悪臭が放たれるまで黙っていた周りも決して良いとは思いません。引き際を大事にして欲しいと思います。批判が正しいとしても尊敬の態度は必要です。ものは聞きよう、言葉は言いようだと思います。