樋田容疑者に思う


樋田容疑者は何処へ行ったのだろう。なかなか捕まりません。報道では容疑者の用意周到な逃走計画を報じています。30歳で若者とも言えない者が、人生で大事な時期を逃げ惑うことによって無駄にしていくことを残念に思います。30歳前後は会社、人生での評価、結婚など節目になる時期だと思います。それを無駄に過ごすことはもったいないと思います。最近、一時的な感情で人を殺したり、犯罪を犯すことが多いように思います。温暖化で気候がおかしくなってきているのと同じ様に、人間もおかしくなってきているようです。さっきまで楽しく話していた者同士が、突然何かの拍子に怒り出す。少し短気になりがちになってきているようです。なにも日本だけがそういうわけでは無く世界でも、突発的な感情の揺れがあるように思います。トランプ大統領の素人まがいの政策に今は大人の対応をしていますが、そのうち誰かが切れるのでは無いかと危惧します。ところで私などは30歳の頃はまだふらふらとしていたように思います。現状を精一杯生き、将来を少し考え、なるべく迷惑を掛けないように、などと消極的とも捉えられる考えでした。今の若者はどうだろうか。色々違うとは思いますが、私が思うのは、将来を思い描いているだろうか、と言うことです。自分の希望に向かって少しでも進もうとしているだろうか。日本は良い国です。人は何にでもなれます。少しの障害はあっても、希望する者になれる可能性は有ります。他の国々に比べればその可能性は大きいと思います。若い頃は人を年収で評価しがちです。特に都会ではそうかも知れません。また勤めている会社で態度が変わるときもあります。それがどうした、と言えないかも知れませんが、定年を迎えると何にも残っていません。その人達もやはり井の中の蛙です。田舎で畑を耕して都会の喧噪を知らないものを井の中の蛙大海を知らずと笑うことは出来ません。お互い小さな世界の中で精一杯生きています。若い頃は何という理由もなく都会へのあこがれが有ります。それが過ぎると都会の華やかな暮らしより、田舎の穏やかな時間の流れの方が良いように私などは思います。都会に向いている人、田舎に向いている人がいます。自分が田舎に向いている人だと思ったら、無理をせず田舎に住んでみてはどうだろうか。田舎に縁が無い場合も有るかと思いますが、親戚筋とか、仕事関係とか探してちょっと暮らしてみるのも良いかも知れません。見栄だけで都会暮らしをし、落ち目に見られたくないから、等の理由で都会にとどまって、犯罪まがいの行動にも次第に無感覚になるよりは、見栄も干渉も必要ない田舎暮らしが良いように思います。樋田容疑者は何から逃げているのでしょうか。犯罪の代償は自由を奪い、時間を浪費させる事だと思います。何でも出来る、何にでもなれる、という自由時間を強制的に無駄にさせるものと思います。犯罪を犯さないまでも無駄な時間を過ごしている人はいないだろうか。勿論無駄というのは何もしていないことではありません。人生に無駄というものはありません。無駄とは自分の自由時間を強制的に無くされる事でも有ります。しかし介護などで時間を強制的に取られる場合もあります。無駄な時間と私などは一時期思っていました。今も感じないわけではありません。自由の陰に無駄が有るように思います。しかし強制的に奪われる自由、犯罪の代償はないものにした方が良いと思います。樋田容疑者には早くきれいにしてもう一度やり直してもらいたいと思います。