緊急事態宣言に思う

緊急事態宣言の期限後をどうするのか、が話題になりつつあります。大都市の感染者は減っていないように思います。芸能人の感染者が出ており、それなりの緊迫感がありますが、商店街の混雑、地方へのドライヴなどを見ると自覚はいまいちのように感じます。そもそも全国への緊急事態宣言は大都市圏の首長の要求に合うように出したように思います。全国一律に緊急事態ではなかった、と思います。大都市圏からの移動を平気で行っている現状では、地方は何の意味もないように思います。感染地域からの息子の帰省で親が亡くなりました。どちらもさぞつらいことだろうと思います。しかしこの事は共有されていません。芸能人の死亡も残念ですが、共有されていません。大都市圏で共有されていない行動を地方に押し付けているように思います。この事を大都市圏の首長はどう思っているのでしょうか。緊急事態宣言を出してほしいと国に声高に言い、出されると鬼の首を取ったように、ホテルに部屋を確保した、休業補償をする、外出自粛要請などの事を出しましたが、何一つ満足できるものではなかったと思っています。例え十分ではなかったとしても、やっている感が感じられないのは私が地方に住んでいるからだろうか。緊急事態宣言後、ホテルを千床用意しました。千床では足らないのは当たり前で、何故もっと前から確保しないのか。休業補償を国に要求しましたが、休業補償を出す会社の線引きも決めず、右往左往。外出自粛要請は一般人には強く、脅すかのように要求するが、企業には何も具体策を示さない。緊急事態宣言前に、もっと十分に準備する事項が、たくさんあったと思います。患者さんの選別、医療機関の選別、受付保健所の強化、受け入れ施設の確保、専任体制の充実、地方自治体との連携など課題が山積していました。少なくともあの旅客船の集団感染を教訓に、医療施設の確保、などを真剣に考えておくべきでした。あの人数の患者は出ない、と高を括っていたか、あの人数が一気に出ては困ると、PCR検査を減らしたか、と疑いが残ります。自宅待機を推進していますが、新たな感染者がゼロになるはずもなく、どこまでの数字を要求するのか決まっていないのではないでしょうか。東京都では、PCR検査で毎日百人規模の感染者が発表されていますが、意味がある数字ではないように思います。アメリカが一般人の抗体検査をやっていますが、それを行う必要があると思います。どれ程の人がかかっており、今後どれ程の患者が予想されるか、を知る必要があると思います。現状を知り、将来を予測する必要があると思います。地方ではまだクラスター感染で収まっているところもあります。モデルケースを考えてみる手法があります。北海道をモデルケースとして実施してみる事が良いのではないのかと思います。初期のクラスター感染、緊急事態宣言による減少、緊急事態宣言後の再クラスター感染、一進一退の現状。一般人にコロナウイルスの撲滅が、共感はされていても、共有されていません。誰でもがコロナウイルスのことを知っており、知っているからこそ密接を避けようとしますが、個人では動こうとします。諸外国から礼儀正しい、規則を守る日本人が緊急事態宣言内容を破る行為が信じられない、というものがあります。不思議の国日本です。しかしこの破る行為を私は何となく理解できます。理解できる人と理解できない人が居ることも、理解できます。日本人が本質的に持っているものではないでしょうか。制度に従う集団的勤勉さ、制度に反発する反骨精神。共感覚による集団的同一性、不誠実さを感じる取る鋭感覚があると思います。コロナウイルスに対する理解を共有しているが、自分の行動を制限するほど共感しておらず、むしろ強制的に制限されることに反発を覚える。強制力を強めれば強めるほど反発する。北風と太陽のようなものだと思います。大阪府知事がパチンコ店を公表しましたが、止められるというならよいと思いますが、根本的な解決策ではないように思います。休業補償を支払うこともできず、やって来る人を分散させただけに終わらないことを願います。パチンコ店に、せめて隔日の営業と時間短縮を先にお願いすれば違っていたのでは。直截乗り込めば誰でも嫌なものですが、ゆっくりと話し合えばある程度納得が得られたのではないのか、と個人的には思います。スピード感が流行っていますが、強弱を知らないと事故になります。運転が上手というのはスピード運転が上手ということではありません。スピードを出してよい所、そうではない所を知っており、コントロール出来る事を言うと思います。大阪府知事は熱心なあまりの行動であったと思います。ですが、少し太陽政策も考えてみてはいかがでしょうか。