日本人の大企業病

世界は競争社会になっています。日本社会は、まだぬるま湯につかっています。財政が逼迫しているにもかかわらず、国債を発行し続けています。後顧に憂いの無きようにして欲しいものです。コロナ対策のためと称していますが、財源を付ければそこに群がるハイエナが集まります。優秀な人たちほどそこに目を付け、かすめ取ろうとしています。官僚、政治家、企業など一般人から見れば上の人達と見られる人が進んで不正を侵しています。倫理などあったものではない。また大企業の不正が横行しています。上の者に意見を言えない体質にしてしまっています。リーンなどの改善は製造現場だけでなく人事面でも行ってもらいたい。子供のいじめ問題も、子供が他の子供を虐めているというよりも親がそういう風なことに無頓着になってきている、と見た方が良いように思われます。先生が子供に注意をしても聞きません。そこで手を出そうものなら親が出てきます。教育委員会も出てきます。子供の暴力は許されても先生の暴力は許されません。結局泣き寝入りするか、子供を無視するか、無頓着になるかしかありません。どこか大企業の経営に似ているように思います。黙って従えば問題なく老後まで過ごせると未だに思わせている節があるように思います。日本は少子化の影響で、韓国のように海外での販路拡大に向かわなければならないようになります。その時に自分の意向ばかり述べる人や、自分の都合ばかりを考える企業は早晩必要とされなくなってくるように思います。人口一億の有利さに甘えていてはいけないと思います。人口が減ればすべての面で縮小が余儀なくされます。農業漁業、製造業など人手のかかる産業は衰退し、福祉の面でも年金、医療、社会インフラが減退されるでしょう。外国からの出稼ぎ労働に期待するしかありませんが、それらの面の法整備が整っているとは思えません。コロナ対策のためか、日本人と外国人と言う区別を未だにしています。誰が外国人で誰が日本に必要な人か、将来必要な人材かを考えていない。一般の人達もコロナの水際対策のためには分ける必要があると思っていますが、一律に区別する段階は去年の経験で分かってきているはずですから、大所からの見地に切り替えるべきだと思います。長らく日本は経済大国として恩恵を受けてきましたが、資源に乏しい日本は人材に活路を見出さざるを得ません。人口の有利ささえも失ってきています。これからは明治時代のように列強の中に突入する事を覚悟する必要があります。一匹オオカミのように資本主義、共産主義、独裁主義一辺倒だけではない日本独自の世界経済を模索する時代になるように思います。中国が中国民主主義を語り、アメリカが欧米民主主義を唱えています。日本はどちらとも言えない主義を持っていると思います。発展途上国などが日本に友好的なのは、昔の苦労を知っているからこその配慮をしてきたからだと思います。ぬるま湯につかり、過去の栄光に縋り付く姿からは、アメリカに従えば、また中国に寄り添えば間違いない、という大企業病に侵されているように思います。子供のいじめ問題も、虐められている子供を別室で扱う、自宅学習という方法を取っているようです。虐めている子供はひどくなってから一気に自宅待機の状態になるようです。取り扱いが逆なように思います。臭いものには蓋をする習慣、取り扱いが容易なものに負担をかける横暴さ、が世界に日本の態度と思われないように願うばかりです。